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あの積分に立ち返る [ネコ騙し数学]

あの積分に立ち返る


再び、次の積分に戻る。

  


何も考えずに、不定積分の公式に使えば

  


このような答案を試験の際に書くと、大学の先生は、決まって、「広義積分を理解していない」、「公式の濫用だ」と声高に叫ぶ。


そこで、ならばと、複素関数の積分の知識を使って次のように解いてみることにする。


実数で定義される1/xという関数を、次のように、複素数に拡張する。

  

Zは複素数(全体の集合)で、Z−{0}は、複素数から0だけを取り除いたもの。

そうすると、f(z)0以外の複素平面上の全ての点で正則になる。


そこで、積分の経路を下図のように複素平面上にとることにする。


fukuso-anosekibun-01.png

円弧ABCは半径1の円弧、円弧DEFは半径ε>0の円弧。

そうすると、円弧ABCと線分CD、円弧DEF、線分EAで囲まれた曲線の内部でf(z)は正則だから、この積分路にそった積分の値は0になる。つまり、

  

積分

  

は実軸に沿っての積分だから

  

になる。

ところで、円弧ABCは半径1の円の半円だから

  

とおくと、

  

円弧DEFは半径ε>0の半円だから

  

とおくと

  

したがって、(1)の積分は

  

となる。

つまり、

  


大学の先生が声高に「公式の濫用」と叫ぶ公式⑨がよみがえる(^^


これまで、複素積分の定積分の応用でやってきたタイプⅡ、タイプⅢ、ジョルダンの補助定理、さらに、

  

といった積分の値を求めるとき、大学の数学の先生は、自身、⑨の公式と同じ手法をを使っておきながら、⑨の公式だけを声高に非難する(^^

この手法が胡散臭い(?)ことを知っていながら、確信犯的に⑨の公式(と同じ手法)を使って講義を受けている学生達を幻惑することが多いのだから、なお、質(たち)は悪くて、その罪は重い。万死に値すると言ってもいい(^^ゞ


⑨の能力を過信しすぎだケロ。⑨にそんなことがわかるはずがないにゃ。⑨の能力を舐めてはいけないにゃ。ないことをあることに、あることをないことにし、禁則、タブーを平気で犯すのが⑨であり、その上をゆく⑨³なのだから。





高木貞治の『解析概論』(岩波書店)には次のように書いてある。

 

εε’は独立である。

たとえば、[−1,1]内でx=0において1/xは不連続で

  

ここでε=ε’とすれば

  


となるけれど、

  

0であることを意味しない。

それは

  

であるべきだが、この極限は存在しない。故には無意味である。それは収束しない(発散する)。

上記においてが存在しなくても、もしも独立変数εε’の間に特別の関係を付けるならば上の例のように極限値が存在することもある。特にεε’とするときの極限値をCauchy主値value principle)と名づけた。Cauchyは虚数積分の考察(解析函数論の前身)において、そのような極限値に遭遇したのであった。現今でも、文献において、積分の主値なる語が上記の意味で、かりおり、用いられる。

(註:一部編集)

(3)の極限が存在しないことは、たとえば、ε=2ε’とすれば、(3)の値はlog2となり、log1、つまり、0とは違った値になる。εε’0への近づき方によって極限値が異なってしまい、極限値が1つの値に定まらないことから明らか。


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